最近はよく「勉強しなくちゃな」というオチの夢をよくみる。どうも、函南です。
ここ最近、 両親や家族に怒鳴ったり意見したりする夢をよく見ていたのですが 、最近は見なくなってきており。
今のトレンドは自分が高校生か大学生に戻っていて「 勉強するの嫌だな…、でも生きていくために( 親に金を出してもらうために)勉強をしなきゃな…、嫌だな~ 興味がなくて自分にとっては面白くない、 つまらないことを勉強するのはいやだなぁ( しかし勉強をさぼったら親に見限られそうだ… 生きていけないし身体的な苦痛を味わうことになる)」 という夢をよく見ます。
うつっぽさとか心のどんより感とか、 すごくリアルでびっくりする。
朝起きて、 自分がもう社会人で会社でどーにかこーにか上手くやっていて、 毎月お給料ももらえて資産運用もしつつ特に我慢することなくお金 もつかえて、 奨学金も完済していて自分と夫だけの家をもっている現実にすごく 安心する。あーよかった、 もう私は親に経済的に依存しているわけではないのだ、 あーよかった。テストも単位も浪人も留年も、もう関係ない、 よかったなぁ。
って高校生・大学生のころの夢を見ると、毎回そう思う。
ついこの間、 自己分析の流れで自分史的なものをつくっていたんだけど、 高校生・大学生のころが本当に私にとっての暗黒期だなぁ、 と思う。 社会人5年目の直前に仕事で不適応を起こしてしばらく不安定だっ た時もつらかったけど、高校生・ 大学生の時が一番つらかったかも。
小中までは成績学年トップだったのが超進学校の高校にはいったら 成績ビリになってしまい、 その現実を私は受け入れられなかったし、 そんな私を両親は受け止められなかった。その他もろもろ。 その結果の家庭不和。親子間での不信。 しかし社会人になる覚悟もなく経済的依存は10年は続くわけで、 その間ずっと家庭不和( ゆうて虐待サバイバーとか親がメンヘラとかもっとひどい家庭環境 の人がごまんといるんで、なんかね)( 私とあなたは別の地獄にいるってやつ)
というのをね、 就職活動のときの自己分析ではブロックが固すぎて( というかココを直視してしまうと精神崩壊したと思う) できなかったんですよ、まだ家庭不和× 経済的依存の最中だったから自分の状況をフラットに見つめること ができなかったんですけど。やっと…! 自己分析で過去を振り返ることができた~~~やった~~~!
家族への怒りや悲しみが次のフェーズに移ったんだと思うんだね。 ひぃぃぃ自己受容頑張ってるぅ。 これからも生きやすくなりたいから自己受容がんばるぞぅ。
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と、もろもろあって、最近はたぶん無意識に「 勉強しないとまずいぞ…」と思っている。いや意識的にか。 今の会社で今のままで生き残れる気がしないんだよなぁ〜。 しかし仕事で取り扱っている分野(大学の専攻分野) はじつは全然興味がない、面白くない分野なんだよなぁ( なぜならば経済的自立を最優先で専攻を決めたからである、 興味はないが確実に食っていける業界ではある)
までも今のところ会社が肩たたきをして人員削減する余力があると は思えないし、 考課もいいほうなのでさすがにクビにはならんやろ… と踏んではいる。技術革新著しいんで今後どうなっていくのか、 ついていけるのか置いていかれるのかはわからないけど( 食らいついていくのが生存戦略)
たしかにここ5年くらいは学問の勉強をしていないんですよ。 お金とか不動産とかは必要だったからかなり覚えたけど。
うーんなんか学問…、数学物理化学古典系はやりたくないなァ、 もう現場出る気がないのにコンクリートを学ぶ気もしないしなぁ、 やっぱり3D図面関連かしら。
建設系の資格って旧姓がそのまま使えないのがすんごい不便なんで すよ。 戸籍謄本を平日昼間にコンビニにわざわざマイナンバーカード引っ 張り出して取りに行ってそれを提出するのは無理過ぎる。 婚姻届けだすのも夫にやってもらったし役所アレルギー過ぎて取り 組めない。つらい。よって資格の受験申し込みができない… つらい。
やっぱりダンスや舞踊が面白くて、身体と脳とか、 意識と無意識とか身体のつながりとかを学びたいよな、 呼吸と身体の関連も面白いし、ヨガ哲学もかなり面白かった。
あと深海魚とか透明な生き物とか、幼体とかも面白い。 生物学かなぁ。
ほかに興味があるのはなんだろう、 神道とかもちゃんと知識にしたい気持ちもある。 日本の文化や民俗、 宗教とか当たり前すぎてあんまりよく分かってないのよね。
それから星占いとかホロスコープもやっぱり面白い、 なんで宇宙の星々の動きがなんとなく人生を方向付けている( ものすごく広い意味で)んだろう、 星占いを聞いていると毎回当たる気がするのすんごい不思議。
そのへんを勉強したいなぁ。デカい本屋さんに遊びに行こっと。
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余談ですけど、「自分の身体が自分だけのものである」 という感覚って、皆様いつごろ自覚しましたか?
私は自分の身体や人生が「親からの借り物」「 自分の身体になにかするときは親の許可取りが必要」「 自分の身体のことを自分の意志だけで(親の顔色を伺わずに) 決めていい
」という感覚が実感できたのは31歳になる直前でした。 そのときはじめて耳に自分でピアスをあけた。 ピアスをあけてじんわりと痛む耳たぶとともに「あぁ、 自分の身体と心と人生は、自分だけのものだ」 って感覚の片鱗に触れた感じがする。
それが揺るぎない実感に変わったのは、去年、 自分の心臓の手術を自分が稼いだ現金だけですべて受けたとき。 死亡率10%の手術だったんだけど「受けます」 って即答できる気持ちよさ。 使う薬の影響で妊孕性の問題があったので、 夫と私の両親とのコンセンサスをとる行為はあったけど。 そこは自分の希望をちゃんと通したってこと(夫も両親も、 まあちょっと悲しそうだったけど文句は言わなかった)
その自分が自分だけのものだって感覚が揺るぎない実感になってか らですよ、 親に怒鳴ったり妹と感情的な喧嘩をする夢を頻繁に見るようになっ たのは。 その実感がないと自分の家族とぶつかることはできないのよね。 自分の生殺与奪を自分で握っているのではなく、 べつの誰かが握っている状態だと、 その別の誰かの機嫌を損ねそうな行動はとれないよね。
こういうことを話すときに「じゃあ、お前は親に『死ね』 って言われたら死ぬの?(死なないでしょ?)」 という例え話をする人がいるんだけど、 たぶん自分の実家時代の精神状態を考えると死ぬ可能性は十二分に あるな、というのが私の回答です。 それぐらい親の存在は圧倒的で絶対的だし、 死ぬ選択をするくらいにコントロールされている( 死なずに生きるほうがつらくて苦しい、 と普段の親の行動や言動から刷り込まれている)
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ということで、家族とぶつかる夢は、まあ見れば疲れるんだけど、 自分の内面が変化している証拠でもあるよな~ と割と前向きに捉えている函南です。 たぶん私の脳みそが眠っている間に過去の記憶の処理し直している のだ。自分の人生の状況だったり、 ジャーナリングによって自己受容が進んだことによって、 過去への処理がアンロックされた感じ。
んでそれがとりあえず処理しきったのか、次は「勉強いやだな~」 の夢になっていると…。 それもなにか脳味噌で処理が走っているのでしょう。がんばれ。
私がこれからもやるべきなのはジャーナリングと自己分析なんだろ うな。
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それでは今日はこのへんで。
あっでゅー。