肩の力をぬく!

長いものには巻かれておきたい

251210:親からもらった呪い(父親編)

ここ5年くらい、 親からもらった祝福と呪いについてよく考えていて、 呪いを発見すると嬉しくなります。解呪できるから!どうも函南です。


なんとなくうっすら気が付いていたけど昨日やっとはっきりと発見 した呪いは、
「お前のその選択は ”逃げ” だろ」
「ほら、”やれば”できるじゃないか(ドヤ顔)」


よく言われたな〜!父親に! やっとちょっと距離を置いて現象を見ることができました、 うれしい。人の選択に対して「それは逃げだ」というのは暗に「 お前のその選択は俺が気に入らないから変えろ」 という意味ですね、その点は言語化されず、父⇔ 娘の関係だと権力傾斜が大きいので娘の私が罪悪感を覚えて選択を 変える、父親は人に介入する責任をとることなく娘に「 自分が満足する選択」をさせることができる…という構造ですね。


「やればできるじゃないか」というのは「 やらないお前は愛する価値がない」という意味です。 子供にやってはいけない「条件付きの愛情」ってやつですね。 父親がそういうつもりがなく発言したとしても、 意味の解釈は受け取る側の自由です。 受け取る側の意味付けをコントロールしたいのなら「察して」 をするのではなく言葉を尽くすべきなのだ。


函南はこの2ワードにすごく縛られているなぁ、 とつくづく思います。
自分の選択が「逃げ」なのか「逃げじゃない」 のかをずっと考え続けるし、 たとえ自分と周囲の構造の問題で父親なら「それは逃げだ」 とする選択肢しか選べないときにずっと「 逃げじゃない選択肢を選ばなかった自分」 を攻め続けて自己否定沼に陥るのは私の人生あるあるです。
また「やればできることをやらない」というのも自己否定の源泉。 やればできるってどの立場を想定して「やればできる」 って言ってるの?自分の身体と心、性別、立場と権力傾斜、 周囲の環境の構造を考えて悩んで選択した事柄は「逃げ」 ではなく「選択」なのでは?と考えられるようになりたい。


自分の選択がすべて「逃げ」で「やればできることをやってない」 だと感じられるのよ、 35歳で実家からは自立して夫も自分の家もあるのに。 もう呪いだよねこれ。解呪!解呪じゃ~~ッ!!


父親は男性で体もでかくて体力もあるし、 男尊女卑の日本で男として生きているから選択できる選択肢が女性 の娘には選択できない( 体も小さく男性と比較して体力がない女性) というのはあるんだよな。
娘3人を育てた父親が男性の目線で「男女平等」 を体現しようとして「男にできることは女もできる」 とやろうとしたのかもしれないけれど、 こういうことは体や立場が弱いほうに合わせるべきだと今になって 思います。彼の理想は尊いけれど実際とは乖離していたよねぇ。 昭和の人間だから仕方がないかな。 時代や親が子供だった頃の環境というのも大きいだろうなと思いま す、想像することしかできないけれど(別に聞きたくない)


親が子供だったころの環境よりはアップデートした価値観で育児を したんだろうな、 とは思うけれどそれも平成や令和の時代にはマッチしていなかった わね。許す気はないけど仕方がなかったよな、とは思う。 責める気もない。 介護がはじまって立場が逆転したらちくちく苛めるかもしれない( 良心の呵責があって多分できないような気がするけれど)

 


それでは今日はこのへんで。