肩の力をぬく!

長いものには巻かれておきたい

他人に興味がないんだと悩んでいたんだけど、人間嫌いでした私

自分から誰かをダンスに誘うことが超苦手、というかそれ以前に

・他人に興味がないので自分のことしか話せない

(というか多分私の「他人」は普通のひとからみたら「友達」なんだと思うんだけど)

・人混みが苦手でなるべく電車に乗りたくない

・自動車の運転は事故りそうだからやりたくない

・なので競技会観戦をまずしない

・一人になりたいので飲み会にはいきたくない、孤独を愛しすぎている

共感性羞恥センサーが敏感すぎ&自他境界があいまいすぎて下手なダンスをみるのがつらいので見られない

・特別この人と踊りたい!という人がいない

・おうちが好きすぎる

・睡眠時間の確保の至上命題すぎる

 

とかまあ色々、社交ダンスをするうえで障壁になる自分の癖みたいなものが沢山あるんですけど、これはまとめると「人間嫌い」なのでは…?笑

「他人に興味をもつ方法」で検索すると「他人に興味をもたないデメリット」から書かれているいかがでしたかブログが多すぎて辟易するんだけど、いや聞きたいのはそこじゃなくてだな。我々人間嫌いの民は「他人に興味を持たない」メリットを最大限享受して人生をどうにかこうにか死なずに生き抜いているわけで。メリットがデメリットを上回らなから他人に興味を持てないわけでだな。そもそも心がけだけで人間に興味がもてて飲み会参加が辛くなくて踊りたい相手が何人かリストアップできて声もかけられるなら苦労しないわバーカ、みたいなひねくれたところがあるんですよ。

 

他人に興味を持てるようになる、これすなわち「人間嫌い」を改善しちょっとづつ「人好き」に自分の脳みそを持っていく必要があると。

で、人間嫌いを改善するためにはやっぱり自分の過去(特に親子関係)の精算が必要で、「あれはしつけだった」と思っている暴力や加害をそのまま暴力や加害として認識しなおして、つらかったなぁって認めて、でももう終わったし自分は自分で生きていけるから大丈夫、自分は勝手に幸せになるし、おとうさんとおかあさんは勝手に幸せになるんだよ、ってあきらめて需要するステップが必要なのですよ。結構大変ですね。

 

そうそう、自分は子供時代、父親からよく蹴りを入れられていたのですが、自分が他人を蹴って他人と揉めたりしたことが何度かあります。学生時代に付き合っていた人に「蹴らないでくれ」っていわれてはじめて「人は蹴ってはいけない」ってわかったくらい。元カレの友達からは「俺は彼女の父親代わりをやらされているのか」って言ってたよ、って聞いて当時は不本意だったんだけど、今となっては確かにその側面はあったかもなぁ。

 

学生時代の就活準備で「自己分析」をするじゃないですか。そのときに自分の過去を思い出すのも号泣するほどつらいし、それを文字に置き換えて紙に書くのもメンタルが辛すぎてできなかったのでやらなかたのですが、2020年ごろに仕事で躓いてから自分の過去と向き合うようになってちょっとはマシになってきたかなぁ。ここ最近は自己否定癖を抜くように気を付けているので精神が一番沈んでいた時ほどは沈まなくなったし(それでもカウンセラーによると「何かを決めた次の瞬間には別の選択肢を選ばなかった自分を否定をしている」と言われた、確かにその通りです)

あと周りの環境や自分の疲労度で周囲に対してかなり過敏に反応することもあるんだけど、それも「いまはセンシティブ期ですわ」と考えられるように一歩引いてみている自分もいるのでだいぶマシになったと思う。

 

人間嫌いが社交ダンスをしていると本当に人生修行感がすんごい、もう。

もっと社交ダンスがうまくなりたいので、自分の過去とももっと向き合わないとなぁ、いまはちょっと休みたいからしばらく休んだらやろうかなぁ、という感じです。

 

もっとたくさんダンスの練習がしたいし、身体芸術スポーツとしてもっと頑張りたいなぁ。

 

自己分析と自己受容は、親の介護も仕方ないからやってもいいかな、と思えたらまずまずなのかな(今は全然外注したいので)そこまで言ったらもうすこし踊る相手に困らないといいなぁ、という感じです。

 

それでは、あっでゅー◎