肩の力をぬく!

長いものには巻かれておきたい

手癖文:「君たちはどう生きるか」をみた・感想・疑問?エトセトラ

すごいものを見てしまった…。

どうも函南です。

 

 

7月14日公開スタジオジブリ新作映画「君たちはどう生きるか」を見てきました。混んでる映画館は嫌だぁ、とかいいつつもミーハー心を発揮してしっかりと見てまいりましたよ笑

ドルビーシネマは音響が素晴らしく、また音量?音圧?は従来の映画よりもやや弱め(端っこに座っていたからかしら)なので、音が鼓膜に突き刺さるような煩さを感じることなく映画に集中できて大変良かったです。映画館って音量が大きすぎてちょっと苦手なんです。

 

さて話題の「君たちはどう生きるか」ですよ。以下からはネタバレがあるので(手癖で思った順に書いていくので)、ネタバレはまだ見たくないよ~の人は後日改めてブログに遊びに来てください!

 

 

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いつもよりも沢山スペースを明けてみた笑

さてこの映画、スタジオジブリにしてはめちゃくちゃドストレートに難解、子供向けのアニメをつくる宮崎駿とは思えないくらいストーリが?難しい。この映画で宮崎駿は何が伝えたいのか?が最後の最後までよくわからない…といった感想なのですが、これはたぶん天才ではない一般の皆さんは結構頷けるのではないかと思います。

 

主人公の少年「マヒト」はおそらく宮崎駿本人で、映画の主題的には母・パラレル時間軸・死・才能(才能を貰うこと・才能を残すこと)・悪意のさばる現実、素晴らしいイマジネーションの内面世界、内面の地獄、なんだろうなぁ、と感じられました。マヒトはストーリー中盤(ファンタジー世界に完全に入るまでが結構長く感じられて中盤だったのかどうなのかわからない)以降はずっと実の母と父の再婚相手(父の好きな人、とずっと言い表していたが、途中で母だと記号付けする)を追い続けています。

 

火災で実の母を亡くしてからずっとマヒトは悪夢を見続けていますが、母の手書きのメッセージ付きの本を読んでからは悪夢の質が変わってきていたんじゃないかな…炎が恐怖の対象として描かれなくなってきているというか。

父の好きな人(再婚相手)の夏子のいた産屋に入ったことが「タブー」だという会話がありますが、あれなんなんでしょうかね。産屋でマヒトは追い求めてきた夏子(現実世界ではちょう優しいの)に「あなたなんか嫌い」と言われます。そのあとにマヒトは夏子のことをお母さんと呼ぶのよね。今までは「父の好きな人」だったのに。この切り替わりは何なんだろうね。異性親に対する心情の変化(男性版)って感じかなぁ。てか母と夏子は造形はすごく似ているよね。

 

マヒトは母を追い求めて映画がすすむわけですが、父に関しては描写がすごく少ない。あと母に対して父は横暴さというか、男性の毒っけが目立つというか(自分がいちばん正しくて聞き耳を持たない感じとか)

 

マヒトは屋敷の敷地内に放置されている塔から、ずぶずぶと「下の世界」にもぐり、ペリカン曰く、下の世界は地獄であり、空高く飛んでも「島」に戻ってきてしまい、自分の子供たちは飛ぶことも忘れてしまっていると。

 

映画をみていて「下の世界」は宮崎駿のイマジネーションの世界なんだろうか、と思っていたのですが、なぜ地獄なんだろう?ペリカンは「上の世界=現実」に出られないから、表現になりきれなかった無駄になったであろうイメージを表しているのだろうか。ペリカンは餌をたくさん食べてそだった白いぽわぽわした生き物?を捕食しますね。捕食されたぽわぽわは上の世界に生まれられないと。現実世界にでられずにイメージだけが膨らんでしまったものが怪物化し、あらたに生まれたイメージを捕食して「表現」として成り立たなくなってしまうこと、を表していたのでしょうか。己の天才性を100%表現したかったけど、諸般の事情で一部しか公開されていないことを指しているのかな?

 

主人公マヒトは「下の世界」でキリコに「死のにおいがぷんぷんする」と言われます。ここは順当に宮崎駿氏が老いと死を身近なものに感じているんだろうなぁ、と感じられました。ジブリ映画であまり「死」を語ったものが多くない?(ハウル以降みてません、すみません)

 

学んだら死ぬ金色の門、あれを明けると大叔父が起きる?いや塔で母を溶かした時点で大叔父は着ていたか、あの門って?門の中でキリコは結界を張りますね。門の奥にあったストーンヘンジみたいなのは墓だと。主が起きると。イマジネーションは死んででっかい墓に収めているということか、イメージの賞味期限的な感じか?

 

黒髪の少女が案内する「迷うと出られなくなる庭」、出られないって何だろう?黒髪の少女は実の母であり、道先案内人なのよね、それで新しい母に会いに行くと。

現実に戻る扉もありますが、マヒトは現実世界の父をみて、「下の世界」の母を助けることを決心し、現実世界に半身戻っていたのに、扉のこちら側に自分の意志で戻ってきます。

 

「下の世界」でオウムは人権を欲しがり、マヒトはオウムに食べられそうになりますね。オウムは飛べる鳥なのに穴倉に閉じ込められて二足歩行をしています。オウムはなにのイメージなんだろうな、この映画はポスターも鳥の絵だし、鳥が沢山出てきます。飛べるのに?下の世界から外には出られない?ってこと?アオサギは出られてマヒトを下の世界に誘う役割をこなしていますね?

 

宮崎駿は天才だ、と単純に一般ピープルは言いますが、天才性は本人がコントロールできるものではなく泉のように滾々と湧き出て(下の世界)、時々案内人が現実世界から引っ張りに来る…って感じなのかな。自分のイメージをすべて自分でコントロールするなんて全然できないんだぜ、という感じ?

 

あとあの大叔父様は誰なんでしょうね。高畑勲鈴木敏郎はまだ生きてるもんね。「悪意」というワードがすごく印象的に使われていましたね。宮崎駿が現実世界で危惧しているものは「悪意」なんだなぁ、と函南は思いました。たしかにSNSの発達で人の悪意は本当によく見える世界になりました。

積み木と世界とか、ちょっとしたバランスでなりたってるんだよ~ってことですよね、あれは。

 

マヒトは大叔父様に(セリフを正しく覚えてないけど)「悪意のある現実の世界に戻るのか?この世界を美しく平和に組みなおせる才能があるのに?本当に戻るのか?」と聞かれて戻るというんですけど、あの世界にいて世界を美しく平和に組みなおしてもいいじゃないって思うわけです。イマジネーションの世界の主になったって、ねぇ。お母さんを現実世界に戻さないといけないからか?あれはなんで戻るって言ったんだろうね。あと大叔父様に差し出された積み木が偽物だと見破れたのはなんでなんだぜ?

 

母がイマジネーションの世界に取りつかれて旅立ってしまい、それを探して探して現実世界に引っ張りなおすって、なんなんでしょうね?母は妹でもあるんだよな。

この映画は男性キャラがすごく少ないですよね、そういえば。主人公・父・大叔父・タクシー自転車の運転手・屋敷にいたタバコ飲みのおじいさん?これくらい?主人公はセリフがかなりあるけど、他はあんまり。アオサギはオスだろうなぁ、たぶん。

 

アオサギは呼ぶんですよねマヒトを。下の世界、もとい地獄に。(いや読んでいたのは大叔父でやっぱりこちらも案内人でしかないのかな)地獄によぶ、呼ばれるってなんなんだ。

 

 

深夜なのでこれくらいにします。ねむい、脳みそがおなかいっぱい。

とりあえず、私はストーリはちょっと全然よくわからなかったというか、あまりにも宮崎駿の原液すぎて、「宮崎駿の世界観ごりごりで来てるし濃いし、正直ストーリーが一般ピープルに理解できない映画の製作をOKだしたジブリ的にも、宮崎駿作品は本当にこれで最後なんだろうなぁ」というのが私の感想。映画館でみてよかったなぁ、と思いました。これは日本人でよかったぁ、とだいたいニュアンスは同じです。宮崎駿の天才性ははやり一筋縄では全くわからんな。ストーリーはかなり人を選ぶけど、宮崎駿作品はこれで最後な気がするので気になる人はスタジオジブリに課金するような気持で、映画館でみてみてはいかがでしょうか。

 

それでは今日はこのへんで。

あっでゅー◎