肩の力をぬく!

長いものには巻かれておきたい

20240529ダンスと劣等感について

「暇」だと脳みそが耐えられなくて悩みを作り出す… のループに見事にハマっています。どうも函南です。
仕事が暇です。


昨日上司と面談したら「我々の立場柄、 ある程度ヒマなのは仕方がない。 君は〆切ちゃんと守るしクオリティも問題ないし、 人よりも優れているところを組織にちゃんと理解されてモノによっ ては抜擢されているので、 自分が思っているほど悪い状態ではない、ふつうです」 と言われて、はぁそうですか安心しました(まあ暇なんだが) という感じです笑

 


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さて、今日は「劣等感」の話をしようと思います。
函南の今年のやりたいことリストに
・『恥』の概念と向き合う、受け入れる
・『劣等感』と向き合う、受け入れる
というのがあります。 これらが脳みそのなかで跋扈していると単純につらくて生きづらい からです。どうせ0にすることはできないので、共に歩もうぞ( 共に歩むために研究するぞ)という気持ちです。


ダンスが同期より後輩よりも下手くそなのが劣等感を生んでいます 。
下手くそを克服するための練習時間は、 睡眠時間を確保し心身の健康を維持するために自分よりもダンスが 上手な同期や後輩ほど確保することができません。 おそらくめちゃくちゃ練習時間を割いている人たちの3割~ 4割くらいしか時間を捻出できないです。

 

 


あれ、本当に「下手くそ」「実力不足」 が劣等感になっているのか???
ダンス歴15年以上の高下駄を履いた人のダンスの実力が「 いまぐらい」なだけで劣等感もりもりでは? ということは私の劣等感はダンスの「実力」 には由来していないのかも???
あと心臓の手術でダンスを半年休んでも、 そのあとの半年で一通り「男役」も覚えたし、 巻き返すことも出来ないわけではないんだよな、 お前の劣等感の根っこは本当に実力か???

 


ダンスの競技会、はじめて出たときは「1パツ」 にショックを受けたけど、なんか「そういうものなんだな」 と思えるようになってからは1パツしても一瞬残念だな~ と思うけどそれ以上はない(一応パートナーには謝る)


あと競技会の私の目的は「最大回数踊る(オナーは除く)」 なので決勝戦が踊れればもう満足で、 賞状がもらえなくても一瞬ざんねんだったね~ とは思いつつ悔しいとは思っていないし、 同期や後輩が自分よりも高い順位をとっても純粋に祝福する。 おめでとうって思っている(か、 踊り終わったら興味を失くしているか)
自分よりも上手いし努力しているし、その結果は当然なので。

 


そう、私が劣等感でもやもや~ぐるぐる~ ってするときの最たる例は、
友達がTwitterで「踊ってきた!」「練習した!」「 レッスンにいってきた!」 って呟いているのを自分がダンスの現場以外の場所にいるときに見 たときなんだよな。 自分が踊っていないときに踊っている人がいるのを認識すると、 すごくもやもやぐるぐるするし、 友達が努力している時間に自分が他のことをしていることにすごく 罪悪感のようなものを感じるんだよね。

 


と、いうことは…、
他の人よりも「ダンスの練習に時間を割けない」「 楽しいダンス機会が他の人よりも少ない」「努力できない」「 常に上昇し常に上達することが是とされるのに、それができない」 ことが私の劣等感の原因なのか? 同期や後輩と比較して練習時間やレッスン時間が取れないことが劣 等感の根源では?
努力できない、 同じ土俵に上がれないことが劣等感を生んでいる気がする。

 


・踊ることそれ自体が楽しいのに踊るための場所に行けない
(平日は睡眠時間の確保が最優先だから)
( 仕事でメンタルが疲れているのに人混みを縫って練習場にいくとか 無理)
twitterで目につく人は平日の夜も踊っている→ そして昼間は仕事をしている…なぜ両立できるのか...)


・踊ること自体が楽しいのに踊りのレッスンを受けられない
(時間が合わない、先生が合わない、場所が遠い)


・踊ること以外にも楽しいことがあるのに、ペアダンスの手前、 練習予定を気分でやっぱやーめたができない
(→ダンス以外のやりたいことができない、家事とか、 そしてそういう時に限ってダンスは上手くいってなかったりする)


・友人たちは、私が努力していない時間に努力して上昇している。 しかし私はその時間に踊ることを選択できないし、 努力することも出来なければ頑張ることもできない。

 


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「機会損失によって生まれる劣等感の対処法」 についての記事はWEBを調べても全然ないな。 どーにかこーにか機会をつくるか(人と違うやり方、戦法をとる)


自分の考えをテキスト化して外部化して、 ここらで落ち着いてみて、改めて見てみると、 フラットな視点をもった私の親友の立場で声を掛けるとすると以下 のようになります。


「それは状況的に仕方なくない??? 心身の健康を害してまで踊って、 友達と同じ土俵に立つ意味って本当にある???
たとえ友達と比較して機会損失でも、 周りの友達は函南のダンスをちゃんとみて色々なことを考えて伝え てくれているじゃない。
ちゃんと思い出してみなよ、 色んな事を褒めて伝えてくれているよ。


『あなたのダンスが好き』
『楽しそうに踊るのがピカイチ』
『踊っているときの笑顔が素敵』
『教科書が正義とされるダンス界でブイブイいわしている、 あなたのパッション溢れるダンスが大好き、めっちゃファンです』
『下手な玄人よりもリードが上手い』
『ぜひ一緒に踊ってください』
『また一緒に踊ろうね』
『実力はまだまだなのに何故だかダンスに説得力がある』
『 伝統に縛られずに自分に似合う衣装で踊っているのがすごく素敵』
『上手い』
『フィジカルが鬼』
体幹馬鹿』
『手足が長くてフィジカルが有利すぎる』
『その場に存在して立っているだけでエネルギーを感じる』
『(フォロー力は粗削りだけど)センスと勘の良さがすごい』
『身体のコントロールに長けている』
『再現性がすごく高い』
『ダンスをして帰宅すると、 きみはとってもハッピーですごくいいね』


って褒められたり伝えてもらったりしているじゃない貴方。
実際に踊っているときは楽しくて最高の気分なんだだし、 十分すぎるくらい色々なものを得ているし、 手にしているんじゃない?
劣等感を抱いてぐるぐる悩んで自分にストレスを感じさせる旨味っ て、本当にあるの??」


「 自分が満足できる踊りをフロアでできるように練習をすればいいん じゃないの」


「誰も貴方のことを責めてない、 一緒に踊っているパートナーですら責めていない。 責めているのは自分だけだよ。そのことに気がつき、 よりよく楽しくダンスが続けられるように考え方を変えたり、 受容したり、やりかたを変えたらいいと思う」


「練習場じゃなくても一人でも練習はできる」


「 ダンス以外のやりたいことも人生において欠かすことができないの ってすごく分かる。踊りたくないときは無理して踊らなくても、 そのときにやりたいことをやったらいいと思う」


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以前はカップリングに難があってそれで悩んでいたのですが、 なんか悩みも変化したなぁ、という気付きがあります。 男性に声を掛けるのが苦手ならそもそも人数が多い女性を誘えばい いじゃない(男役の踊りは覚えるんだ)


4~6月にダンスの本番が6個もあって、 それに向かって長期で体調を崩したりしつつもどーにかこーにか向 き合ってきて、一応元気なつもりだけど気持ちがね~ 疲れちゃってるんだと思うんだよね~。


とりあえずダンスの本番は残りひとつなので、 それはちゃんと出て、それが終わったら、 ダンスはちょっと休むことにします。リフレッシュ〜!

 


とりあえず今日はこんな感じです。